<教員採用汚職>発表前、仲介者に合否 十数年以上前から
<教員採用汚職>不正に良心の呵責…逮捕の参事に口利き集中
・・・
といくらでも報道があるんだが、
江藤容疑者は別府市出身。大分、別府両市の教諭などを経て、03年から逮捕されるまでの間は人事班に所属。07年は小・中学校の教員採用試験結果の集計や最終合格者リストの起案をする立場になった。出世コースでもあったが、人事班配属になった際に「(口利きによる不正採用は)うわさに聞いていたが、本当にあるんだ」とがく然としたという。07年度の採用試験にあたり、元県教委審議監、二宮政人容疑者(61)=収賄容疑で逮捕=に受験者成績一覧表を示すと、口利きがあった受験者に印が付けられ「最後まで通すように」と指示されたという。
県教委の佐伯教育事務所在任中(98年から2年間)に、県教委参事、矢野哲郎容疑者(52)=贈賄容疑で再逮捕=と知り合った。江藤容疑者は人事班に入って以降、口利きによる不正の多さについて「もううんざりだ。こんなことやってられない」と、矢野容疑者に愚痴をこぼしていたという。
江藤容疑者に合格依頼の口利きが集中していたが、「何の見返りもないことが多く、大半を汚れ役に徹していた」と言われる。
こうした事情を知った矢野容疑者は小学校校長、浅利幾美被告(52)=贈賄罪で起訴=に「今度(浅利被告の長男長女の合格依頼の際)は直接、本人にお礼をしよう」と告げ、贈賄工作を持ちかけていたという。
大分県教委の教員採用汚職:高校教員採用でも 小学校からすべてで不正
大分県の小学校教員採用を巡る汚職事件で、同県の高校教員採用でも不正が行われていたことが分かった。収賄容疑で再逮捕された県教委義務教育課参事、江藤勝由容疑者(52)は中学教員採用でも不正な口利きをしていたことが判明しているが、高校教員採用は同課とは別の課が所管しており、小学校から高校までの教員採用すべてで不正が行われている実態が浮かんだ。
大分県教委の教員採用汚職:県議10人以上口利き 江藤容疑者「中学でも不正」
大分県の教員採用試験を巡る汚職事件で、県教委義務教育課参事、江藤勝由容疑者(52)=収賄容疑で逮捕=が07、08年度の小学校採用試験で受けた計約35人分の口利きのうち、両年度とも10人以上の県議会議員が関与していることが分かった。県警は、県議の口利き行為が常態化していたとみており、金品授受の有無についても調べている。
このなかで、
ある教育関係者は「教師になりたかったら、一に県教委、二に議員、三に校長と言われてきた」と話している。
という話がある。大分県の話は捜査が入ったが、これって私の地元でも昔から言われていることである。近くの国立大学には教育学部があるが、地元出身でコネがないと正規の教員にはなりにくいとアルバイトの学生達はいう。1年では教員になれないつもりで親にも言っているという。
大体、倍率がめちゃくちゃ高くて、教員の養成自体が既にオーバーしている。教育学部に入ったからといって何も先生になる必要もないだろうというが、親もかねかけて教育してきているので、本人の気持ち以上の問題があるようだ。確かにね、同じ年齢の教師だと私よりも給料が良いし、競争原理がなくて生活も安定している、いい職業ではある。
友人の奥さんは子供達を全国大会にも出させるほどの教育熱心で実績もあるが、正規ではない。県外者で、地元にコネがなかった。この話は長くなるんだが、要するに、奥さんは子供達が好きで、活躍も望んだものをがんばって出してくれるのがなんともうれしくて、命をかけた重い病気をしたあとでも、いまだに続けている。こういうのが本当の教師だろう、と私などは思っている。
教員採用汚職:「組織的、反論できず」教育長謝罪
子どもたちについては「今回の事件をどう説明するか、つらいものがあると思う。教育する立場の者がこういう事態になり、なんと説明すればいいか分からない」と述べた。
そんなことじゃ困ります。ちゃんと子供達に納得いくように説明しなければならない。
先生になるにはコネを使ってよろしい、一番良いのは議員に相談しお金を渡すこと、これが世の中だ、ということを教えなければならない。
そしたら人より成績がよくなくっても合格する、ってこと。
先生にしたくて大枚のお金を費やしている親にも教えてあげなければならない。
世の中いくらがんばっても親や知人にコネがあり、謝礼が大事である、ということ。
大分県教委、「10年保存」の採用試験答案を翌年に破棄
ってことで、悪いことをやったら、直ちに証拠は隠滅すること、これも子供達に教える重要なことである。
現在教えてもらっている先生たちの中にはそうやってやってきた人が現実にいるんだからんだから、それが人としての成功であり、教育の成果ということをしっかり教えてもらわなければならない。
県教委は、不正の結果、不合格とされた受験者の救済を検討しているが、根拠になる資料がないため難航は必至。得点一覧表はあるものの、同課参事・江藤勝由被告(52)(収賄罪で起訴)が元教育審議監の同県由布市教育長・二宮政人容疑者(61)(収賄容疑で逮捕)らの指示に従って改ざんしているため、救済には役立たないという。
悪いことができなければ、一生懸命やったところでこうやって泣きを見ることになるし、救ってもらうこともない、ということも子供達にしっかり授業で教えなければならない。
大分県教委の教員採用汚職:口利き30人以上 県教委参事、半数近くに加点
自力で合格した受験者もいるが、約半数を合格させるため点数を加点し、逆に合格点に達していた受験者の減点などの改ざんをしていた疑いが浮上。・・・
矢野容疑者夫婦の長女は昨年4月に採用、小学校校長、浅利幾美容疑者(52)の長男、長女は今年4月に採用され、いずれも県内の小学校に勤務しているという。
いくら入試問題にけちつけようが、こんなふうに、点数を勝手に改ざんして良いことをしっかり子供達に教えなければならない。
自分の子供のためには、人の子供が一生を棒に振ってもかまわないのが、教師であることをしっかり子供達に教えなければならない。
自分の望みさえかなえば、一緒に学んだ友人達がどうなろうとかまわないのが教師であることをしっかり教えなければならない。
大分県教委の教員採用汚職:また逮捕 カネで汚染、どこまで
特定の受験者の点数を簡単に上乗せできる採点システムについて、県教委は「不正を100%防げるとは言えない」と言う。「優秀な人が採用されず、一発合格した人の親が県教委職員」。県教委を巡っては、こうした実態を背景に黒いうわさが後を絶たないという。
望みが叶えられなかったら、コネと金がない自分の親をうらめ、と子供達にしっかり教えなければならない。
「中学でも点数改ざん」=不正のうわさ以前から−教員採用汚職で県参事・大分
江藤容疑者は調べに対し、08年度小学校教員採用試験で「県教委上層部の指示で点数一覧表に印が付けられた約20人のうち、約15人に加点した」と供述している。周辺関係者によると、江藤容疑者は中学校の採用試験についても「小学校と構図は同じだ」と説明。しかし、金品の授受は「なかった」としており、点数を改ざんした規模や人数は「記憶にない」と述べている。さらに「(不正の)うわさを聞いていたが、(県教委に)入ったら本当だった」と話しているという。
不正は皆でやれば怖くない、ってことを子供達にしっかり教えなければならない。
なんというか、やっぱり人の一生を預かることでは、こういう個人の恣意的な改竄ができる評価システムをとってないので、公に私を入れて良いのが教育界なんだろうな、と思う。
こんなふうに公私を混同していいというのも子供達にしっかり教えてもらわなければならない。
私の父は、学校で販売をする商売を何年か続けたことがある。剣道の経験があったし、子供好きだったので小学校の剣道部の練習振りなんかも時たま見ていたし、野球の練習にもノックをしにいっていた。その父が、学校の先生たちは人間が汚い、といって、あるとき不意にこの商売をやめた。
その頃、父母がこの話とまったく同じ話をしていた。
昔から連綿として続いていることであって、コネがない親をもつ子供は学校には入れない、という感じで、私には教員になることを勧めたことは一度もなかった。
私のいとこには3人の教師がいるが、いずれも家が農家だったり商売やっていたりで、子供の頃から家の手伝いをさせられてきた人間である。
彼らはいずれも自分の子供達を教師にしていないか、するつもりがない。
もう既に人事に関しても口出しできる年齢に達した彼らは、より上の教師の子供達を教師として面倒見ることになり、一家そろって教師暮らししか知らず、勉強の知識しかない人達の弊害を見ている。
私も知人の奥さんだけでなく、他にも教師の知人がいるが、教師一家育ちはどうも世間話にならず、学校の話ばかりである。いとこ達や奥さんとの世間話とは雲泥の差がある。
その分、情熱的ともいえるのだろうが、私は経験談やおもしろい話をしてくれる先生が好きだった。
そのうちの一つが中国の歴史であり、当時は文化大革命のことだった。
いくら日教組が左派とはいえ、生徒が教師をつるし上げて良いのなら、それは馬鹿だ、と言い切った。
古典の話になると、恋慕を詩に読み上げるくらいに、艶な恋をしろよ、と教えたものだ。
そんなわけで、入試の勉強よりも、昔は百人一首を全部覚えたくらいに、和歌を読んだものであるが、いつだったか高校の国語の先生と酒の席が一緒になった際に、国語の先生なんだからと思ってそんな古典文学の話で盛り上がろうとしたら、わからん、といわれてしまったくらいに、マニュアル化されているようだ。
アルバイトの学生の中には、高校の英語の教師になったのがいる。しかし、彼は、私の外国人の友人達とは話ができないし、英字新聞など読める英語力は全然なかった。発音はひどいし、なんで彼が英語の教師になれたのかわからなかった。アルバイト仲間のもう一人の女子学生は、彼のように地元にコネもない、だからこそよく勉強していることが、普段の世間話からもわかったのだが、彼女は試験に落ちた。そんなこんなで人事を尽くして天命を待つなんてことは、教師にはない、という話で泣いていた彼女の相談は落ち着いたんだが、あれほどに仲の良かった二人は、そのごまったく連絡をとることもなくなった。こんなことでは人間不信を起こすのである。落ち込んだ彼女はしばらく顔を見なくなり、そのうち、また大学に戻って勉強していたが、やはり正規では合格せず、非常勤を何年かやったのちに正規になれた。
いとこ達は、今のように教職が人気のあった時代ではないが、コネもなく実力だけで合格するのは厳しいと言って、本当に寝ないで勉強したものだった。一番年長のいとこはいま校長だが、校長だからといって教育委員会に頼み込まなければ危ういのである。年老いた親に代わって田植えもするいとこには、農作物を育てる自然界への願いは当たり前であっても、人間に対する頼みは屈辱だった。それほどに上ができた人でもなかったのであろうし、当然のごとくして行われている悪習にも辟易していた。
こんな世界には自分の子供を入れたくない、というのは、自分の力だけで一家を支えて世間の立場からちょっと教師の世界を垣間見ることができた私の父と同じだった。
私の教育を行っていた小学校に、何故嫌悪感を父母がもっていたか、当時はわからず、そんな父母が嫌だったものだ。あれほど子供好きで友達と遊んでくれた父が学校に来なくなったのも不思議で不満だったが、今では何となしにわかるようになった。
当時の私の担任は、教師一家のお嬢様であり、子供の私から見ても時たま頼りなかった。勉強の点ではむしろ本を読むことを勧めたり、教育的なおまけがついた雑誌を読ませた母の力で伸びたように思っている。学校の宿題をやらなくても、やりたいようにやらせてくれた。
今日ではよく創造性というが、当時も子供の工夫や色んな見方を尊重されていた。だが、所詮子供の工夫などやってもしれたものである。今でも思い出すのが、夏休みの宿題で全部一人でやった工作を持っていったら、先生はほめなかったことである。明らかに大人の手が入った、金もかかったろう出来の良いものをほめた。ほめられなかったことが気に食わないのではなく、どう見たって子供に出来やしないだろ、と思えるものをほめたのが嫌だった。私だけでなく友達は親も貧乏なところも多かったし、家の手伝いで遊べないというのもいたし・・・
それで翌年、頼んで父が工作を殆ど代わりにやってくれたら、先生からほめられた。他の子も親の手を借りたのが多かった。子供がそんなものできやしないって。
私は本を読むのが好きだったせいか、他の子よりは表現がいくらかは良かったらしく、作文ではよく読まされた。確か、原爆ドームを見に行った修学旅行の後だったと思う。奇形児の姿を見せられたのはあまりにも衝撃が強すぎた。そこからは卒倒していた。うちのクラスは予告なしだったから、殆どがアウトで車酔いが続出した。
日教組は強力であり先生は信奉者、旦那はバリバリの活動家で、追い討ちで井伏鱒二の黒い雨を帰った週に読まされた。原爆記念館にしろ、黒い雨にしろ強烈に感じたことを、知っている言葉を敢えて変えて書いた。強烈に印象を残すのが目的だったとすれば、先生の大成功である。しかし、わたしの書いた文章で一番強調したいところが先生によると×であった。わかってて書いたと説明したのだが、それは言葉が間違っているというのである。点数は直らなかった。
漢字の書き取りならともかく、感想文で点数にこだわるか?と思ったものだった。その後、どうも作文には力入れる気がなくなった。母は、文章を書くのが考える力をつけるという考え方だったから、私があまり作文もしなくなったのが腑に落ちなかったようだ。
その後ずいぶん経ってから、先生のお宅にお邪魔した際に、当時中学生だったお子さんの部屋に招じ入れられたことがあった。先生の子供のときに使っていた部屋である。さすが教育一家、参考書や問題集がずらりと並び、こんなのは見たことも経験したこともなかった。しかし、本が殆どなかった。ないわけではないのだが、家庭教師や塾の勉強も忙しいし、殆ど読まない、読むのは友達の家に行って漫画の本を読ませてもらっている(漫画は禁止されていた)ということだった。
そんなこんなで時間をつぶしていると、先生のなんとおせっかいでかいがいしいこと。これじゃ子供も親掛かり以上のことはしないだろ、と思ったものだった。お子さん自身が、そのことで学校で友達とトラブルになっていると言っていた。豊富な参考書の類を見ると勉強するには困らないだろと思っていたら、成績がどんどん落ちていて、家庭教師に習うことになったといっていた。、塾に行っても抜け出して、友達に借りた漫画を読んでいるそうだ。塾の成績も悪くなった。
机の上にあった問題集を開いてみて、ちょっとひねった問題にしたら、お子さんはこんがらがって解けなかった。問題の意味がわからないのと、公式を公式のまま使える形でないと解けないのである。これって勉強しすぎのせいかしらん?と思ったものだった。
しかし、先生自身がそれが当たり前として子供時代から育てられてきた。一緒に住む元教師夫婦のおじいちゃん、おばあちゃんからすれば、婿養子をもらってでも手放したくない手塩にかけた自慢の娘であった。先生は、息子もそうしたかったらしいのだが、成績の悪化ぶりにどうしたものかしら?と真剣に悩んでいた。
実際のところ、私が呼ばれたのはそういうことでアドバイスをしてほしいということだったのだが、やる気がない人には、そしてやってないのをすぐ横から助けてくれるのでは、何言っても駄目である。
お子さんはあまり教師にはなりたくなったらしい。どんなに生活が安定しているからと、お母さんの先生が口すっぱくしても駄目であった。そんな遠いこととを言われてもね、こっちはアルバイトでその日暮らしのこともあるのにずいぶん恵まれているんだから、と思ったものだった。
請われて何度か遊びに行ったが、市内でも有名な進学塾に通い、一流国立大学の学生を遠方から家庭教師に招いても、成績はどんどん落ちていったところまでしか知らない。彼がやりたかったのはプラモデルつくりだったが、これも勉強しないということで禁止されていた。私はお小遣いで買える程度のプラモデルつくりは小学校で卒業、中学時代は部活で楽しんだり、当時流行のラジオ製作で電気店通いだった。ビー玉遊びはプロ化し、投げゴマは弟達小学生の憧れの的だった。
弟君がいたので、そんな遊びをするか、と聞いたら、弟君もまた勉強どっぷり。泥で汚くなるからビー玉遊びはさせられない、、投げゴマや爆発が楽しい花火玩具は危険で駄目、・・・当時の彼の世代としては、これらの遊びはまだやっていたが、何一つ楽しいものがないじゃないか、と思ったものだった。
こんなこと書いていたら、先日の秋葉原無差別殺人事件のことを思い出した。
犯人の親も教育熱心だった。
先日、息子の父親授業参観で講演があったが、子供に沢山遊ばせましょう、という話で、もっともなことだと思った。
<教員採用汚職>不正に良心の呵責…逮捕の参事に口利き集中
・・・
といくらでも報道があるんだが、
江藤容疑者は別府市出身。大分、別府両市の教諭などを経て、03年から逮捕されるまでの間は人事班に所属。07年は小・中学校の教員採用試験結果の集計や最終合格者リストの起案をする立場になった。出世コースでもあったが、人事班配属になった際に「(口利きによる不正採用は)うわさに聞いていたが、本当にあるんだ」とがく然としたという。07年度の採用試験にあたり、元県教委審議監、二宮政人容疑者(61)=収賄容疑で逮捕=に受験者成績一覧表を示すと、口利きがあった受験者に印が付けられ「最後まで通すように」と指示されたという。
県教委の佐伯教育事務所在任中(98年から2年間)に、県教委参事、矢野哲郎容疑者(52)=贈賄容疑で再逮捕=と知り合った。江藤容疑者は人事班に入って以降、口利きによる不正の多さについて「もううんざりだ。こんなことやってられない」と、矢野容疑者に愚痴をこぼしていたという。
江藤容疑者に合格依頼の口利きが集中していたが、「何の見返りもないことが多く、大半を汚れ役に徹していた」と言われる。
こうした事情を知った矢野容疑者は小学校校長、浅利幾美被告(52)=贈賄罪で起訴=に「今度(浅利被告の長男長女の合格依頼の際)は直接、本人にお礼をしよう」と告げ、贈賄工作を持ちかけていたという。
大分県教委の教員採用汚職:高校教員採用でも 小学校からすべてで不正
大分県の小学校教員採用を巡る汚職事件で、同県の高校教員採用でも不正が行われていたことが分かった。収賄容疑で再逮捕された県教委義務教育課参事、江藤勝由容疑者(52)は中学教員採用でも不正な口利きをしていたことが判明しているが、高校教員採用は同課とは別の課が所管しており、小学校から高校までの教員採用すべてで不正が行われている実態が浮かんだ。
大分県教委の教員採用汚職:県議10人以上口利き 江藤容疑者「中学でも不正」
大分県の教員採用試験を巡る汚職事件で、県教委義務教育課参事、江藤勝由容疑者(52)=収賄容疑で逮捕=が07、08年度の小学校採用試験で受けた計約35人分の口利きのうち、両年度とも10人以上の県議会議員が関与していることが分かった。県警は、県議の口利き行為が常態化していたとみており、金品授受の有無についても調べている。
このなかで、
ある教育関係者は「教師になりたかったら、一に県教委、二に議員、三に校長と言われてきた」と話している。
という話がある。大分県の話は捜査が入ったが、これって私の地元でも昔から言われていることである。近くの国立大学には教育学部があるが、地元出身でコネがないと正規の教員にはなりにくいとアルバイトの学生達はいう。1年では教員になれないつもりで親にも言っているという。
大体、倍率がめちゃくちゃ高くて、教員の養成自体が既にオーバーしている。教育学部に入ったからといって何も先生になる必要もないだろうというが、親もかねかけて教育してきているので、本人の気持ち以上の問題があるようだ。確かにね、同じ年齢の教師だと私よりも給料が良いし、競争原理がなくて生活も安定している、いい職業ではある。
友人の奥さんは子供達を全国大会にも出させるほどの教育熱心で実績もあるが、正規ではない。県外者で、地元にコネがなかった。この話は長くなるんだが、要するに、奥さんは子供達が好きで、活躍も望んだものをがんばって出してくれるのがなんともうれしくて、命をかけた重い病気をしたあとでも、いまだに続けている。こういうのが本当の教師だろう、と私などは思っている。
教員採用汚職:「組織的、反論できず」教育長謝罪
子どもたちについては「今回の事件をどう説明するか、つらいものがあると思う。教育する立場の者がこういう事態になり、なんと説明すればいいか分からない」と述べた。
そんなことじゃ困ります。ちゃんと子供達に納得いくように説明しなければならない。
先生になるにはコネを使ってよろしい、一番良いのは議員に相談しお金を渡すこと、これが世の中だ、ということを教えなければならない。
そしたら人より成績がよくなくっても合格する、ってこと。
先生にしたくて大枚のお金を費やしている親にも教えてあげなければならない。
世の中いくらがんばっても親や知人にコネがあり、謝礼が大事である、ということ。
大分県教委、「10年保存」の採用試験答案を翌年に破棄
ってことで、悪いことをやったら、直ちに証拠は隠滅すること、これも子供達に教える重要なことである。
現在教えてもらっている先生たちの中にはそうやってやってきた人が現実にいるんだからんだから、それが人としての成功であり、教育の成果ということをしっかり教えてもらわなければならない。
県教委は、不正の結果、不合格とされた受験者の救済を検討しているが、根拠になる資料がないため難航は必至。得点一覧表はあるものの、同課参事・江藤勝由被告(52)(収賄罪で起訴)が元教育審議監の同県由布市教育長・二宮政人容疑者(61)(収賄容疑で逮捕)らの指示に従って改ざんしているため、救済には役立たないという。
悪いことができなければ、一生懸命やったところでこうやって泣きを見ることになるし、救ってもらうこともない、ということも子供達にしっかり授業で教えなければならない。
大分県教委の教員採用汚職:口利き30人以上 県教委参事、半数近くに加点
自力で合格した受験者もいるが、約半数を合格させるため点数を加点し、逆に合格点に達していた受験者の減点などの改ざんをしていた疑いが浮上。・・・
矢野容疑者夫婦の長女は昨年4月に採用、小学校校長、浅利幾美容疑者(52)の長男、長女は今年4月に採用され、いずれも県内の小学校に勤務しているという。
いくら入試問題にけちつけようが、こんなふうに、点数を勝手に改ざんして良いことをしっかり子供達に教えなければならない。
自分の子供のためには、人の子供が一生を棒に振ってもかまわないのが、教師であることをしっかり子供達に教えなければならない。
自分の望みさえかなえば、一緒に学んだ友人達がどうなろうとかまわないのが教師であることをしっかり教えなければならない。
大分県教委の教員採用汚職:また逮捕 カネで汚染、どこまで
特定の受験者の点数を簡単に上乗せできる採点システムについて、県教委は「不正を100%防げるとは言えない」と言う。「優秀な人が採用されず、一発合格した人の親が県教委職員」。県教委を巡っては、こうした実態を背景に黒いうわさが後を絶たないという。
望みが叶えられなかったら、コネと金がない自分の親をうらめ、と子供達にしっかり教えなければならない。
「中学でも点数改ざん」=不正のうわさ以前から−教員採用汚職で県参事・大分
江藤容疑者は調べに対し、08年度小学校教員採用試験で「県教委上層部の指示で点数一覧表に印が付けられた約20人のうち、約15人に加点した」と供述している。周辺関係者によると、江藤容疑者は中学校の採用試験についても「小学校と構図は同じだ」と説明。しかし、金品の授受は「なかった」としており、点数を改ざんした規模や人数は「記憶にない」と述べている。さらに「(不正の)うわさを聞いていたが、(県教委に)入ったら本当だった」と話しているという。
不正は皆でやれば怖くない、ってことを子供達にしっかり教えなければならない。
なんというか、やっぱり人の一生を預かることでは、こういう個人の恣意的な改竄ができる評価システムをとってないので、公に私を入れて良いのが教育界なんだろうな、と思う。
こんなふうに公私を混同していいというのも子供達にしっかり教えてもらわなければならない。
私の父は、学校で販売をする商売を何年か続けたことがある。剣道の経験があったし、子供好きだったので小学校の剣道部の練習振りなんかも時たま見ていたし、野球の練習にもノックをしにいっていた。その父が、学校の先生たちは人間が汚い、といって、あるとき不意にこの商売をやめた。
その頃、父母がこの話とまったく同じ話をしていた。
昔から連綿として続いていることであって、コネがない親をもつ子供は学校には入れない、という感じで、私には教員になることを勧めたことは一度もなかった。
私のいとこには3人の教師がいるが、いずれも家が農家だったり商売やっていたりで、子供の頃から家の手伝いをさせられてきた人間である。
彼らはいずれも自分の子供達を教師にしていないか、するつもりがない。
もう既に人事に関しても口出しできる年齢に達した彼らは、より上の教師の子供達を教師として面倒見ることになり、一家そろって教師暮らししか知らず、勉強の知識しかない人達の弊害を見ている。
私も知人の奥さんだけでなく、他にも教師の知人がいるが、教師一家育ちはどうも世間話にならず、学校の話ばかりである。いとこ達や奥さんとの世間話とは雲泥の差がある。
その分、情熱的ともいえるのだろうが、私は経験談やおもしろい話をしてくれる先生が好きだった。
そのうちの一つが中国の歴史であり、当時は文化大革命のことだった。
いくら日教組が左派とはいえ、生徒が教師をつるし上げて良いのなら、それは馬鹿だ、と言い切った。
古典の話になると、恋慕を詩に読み上げるくらいに、艶な恋をしろよ、と教えたものだ。
そんなわけで、入試の勉強よりも、昔は百人一首を全部覚えたくらいに、和歌を読んだものであるが、いつだったか高校の国語の先生と酒の席が一緒になった際に、国語の先生なんだからと思ってそんな古典文学の話で盛り上がろうとしたら、わからん、といわれてしまったくらいに、マニュアル化されているようだ。
アルバイトの学生の中には、高校の英語の教師になったのがいる。しかし、彼は、私の外国人の友人達とは話ができないし、英字新聞など読める英語力は全然なかった。発音はひどいし、なんで彼が英語の教師になれたのかわからなかった。アルバイト仲間のもう一人の女子学生は、彼のように地元にコネもない、だからこそよく勉強していることが、普段の世間話からもわかったのだが、彼女は試験に落ちた。そんなこんなで人事を尽くして天命を待つなんてことは、教師にはない、という話で泣いていた彼女の相談は落ち着いたんだが、あれほどに仲の良かった二人は、そのごまったく連絡をとることもなくなった。こんなことでは人間不信を起こすのである。落ち込んだ彼女はしばらく顔を見なくなり、そのうち、また大学に戻って勉強していたが、やはり正規では合格せず、非常勤を何年かやったのちに正規になれた。
いとこ達は、今のように教職が人気のあった時代ではないが、コネもなく実力だけで合格するのは厳しいと言って、本当に寝ないで勉強したものだった。一番年長のいとこはいま校長だが、校長だからといって教育委員会に頼み込まなければ危ういのである。年老いた親に代わって田植えもするいとこには、農作物を育てる自然界への願いは当たり前であっても、人間に対する頼みは屈辱だった。それほどに上ができた人でもなかったのであろうし、当然のごとくして行われている悪習にも辟易していた。
こんな世界には自分の子供を入れたくない、というのは、自分の力だけで一家を支えて世間の立場からちょっと教師の世界を垣間見ることができた私の父と同じだった。
私の教育を行っていた小学校に、何故嫌悪感を父母がもっていたか、当時はわからず、そんな父母が嫌だったものだ。あれほど子供好きで友達と遊んでくれた父が学校に来なくなったのも不思議で不満だったが、今では何となしにわかるようになった。
当時の私の担任は、教師一家のお嬢様であり、子供の私から見ても時たま頼りなかった。勉強の点ではむしろ本を読むことを勧めたり、教育的なおまけがついた雑誌を読ませた母の力で伸びたように思っている。学校の宿題をやらなくても、やりたいようにやらせてくれた。
今日ではよく創造性というが、当時も子供の工夫や色んな見方を尊重されていた。だが、所詮子供の工夫などやってもしれたものである。今でも思い出すのが、夏休みの宿題で全部一人でやった工作を持っていったら、先生はほめなかったことである。明らかに大人の手が入った、金もかかったろう出来の良いものをほめた。ほめられなかったことが気に食わないのではなく、どう見たって子供に出来やしないだろ、と思えるものをほめたのが嫌だった。私だけでなく友達は親も貧乏なところも多かったし、家の手伝いで遊べないというのもいたし・・・
それで翌年、頼んで父が工作を殆ど代わりにやってくれたら、先生からほめられた。他の子も親の手を借りたのが多かった。子供がそんなものできやしないって。
私は本を読むのが好きだったせいか、他の子よりは表現がいくらかは良かったらしく、作文ではよく読まされた。確か、原爆ドームを見に行った修学旅行の後だったと思う。奇形児の姿を見せられたのはあまりにも衝撃が強すぎた。そこからは卒倒していた。うちのクラスは予告なしだったから、殆どがアウトで車酔いが続出した。
日教組は強力であり先生は信奉者、旦那はバリバリの活動家で、追い討ちで井伏鱒二の黒い雨を帰った週に読まされた。原爆記念館にしろ、黒い雨にしろ強烈に感じたことを、知っている言葉を敢えて変えて書いた。強烈に印象を残すのが目的だったとすれば、先生の大成功である。しかし、わたしの書いた文章で一番強調したいところが先生によると×であった。わかってて書いたと説明したのだが、それは言葉が間違っているというのである。点数は直らなかった。
漢字の書き取りならともかく、感想文で点数にこだわるか?と思ったものだった。その後、どうも作文には力入れる気がなくなった。母は、文章を書くのが考える力をつけるという考え方だったから、私があまり作文もしなくなったのが腑に落ちなかったようだ。
その後ずいぶん経ってから、先生のお宅にお邪魔した際に、当時中学生だったお子さんの部屋に招じ入れられたことがあった。先生の子供のときに使っていた部屋である。さすが教育一家、参考書や問題集がずらりと並び、こんなのは見たことも経験したこともなかった。しかし、本が殆どなかった。ないわけではないのだが、家庭教師や塾の勉強も忙しいし、殆ど読まない、読むのは友達の家に行って漫画の本を読ませてもらっている(漫画は禁止されていた)ということだった。
そんなこんなで時間をつぶしていると、先生のなんとおせっかいでかいがいしいこと。これじゃ子供も親掛かり以上のことはしないだろ、と思ったものだった。お子さん自身が、そのことで学校で友達とトラブルになっていると言っていた。豊富な参考書の類を見ると勉強するには困らないだろと思っていたら、成績がどんどん落ちていて、家庭教師に習うことになったといっていた。、塾に行っても抜け出して、友達に借りた漫画を読んでいるそうだ。塾の成績も悪くなった。
机の上にあった問題集を開いてみて、ちょっとひねった問題にしたら、お子さんはこんがらがって解けなかった。問題の意味がわからないのと、公式を公式のまま使える形でないと解けないのである。これって勉強しすぎのせいかしらん?と思ったものだった。
しかし、先生自身がそれが当たり前として子供時代から育てられてきた。一緒に住む元教師夫婦のおじいちゃん、おばあちゃんからすれば、婿養子をもらってでも手放したくない手塩にかけた自慢の娘であった。先生は、息子もそうしたかったらしいのだが、成績の悪化ぶりにどうしたものかしら?と真剣に悩んでいた。
実際のところ、私が呼ばれたのはそういうことでアドバイスをしてほしいということだったのだが、やる気がない人には、そしてやってないのをすぐ横から助けてくれるのでは、何言っても駄目である。
お子さんはあまり教師にはなりたくなったらしい。どんなに生活が安定しているからと、お母さんの先生が口すっぱくしても駄目であった。そんな遠いこととを言われてもね、こっちはアルバイトでその日暮らしのこともあるのにずいぶん恵まれているんだから、と思ったものだった。
請われて何度か遊びに行ったが、市内でも有名な進学塾に通い、一流国立大学の学生を遠方から家庭教師に招いても、成績はどんどん落ちていったところまでしか知らない。彼がやりたかったのはプラモデルつくりだったが、これも勉強しないということで禁止されていた。私はお小遣いで買える程度のプラモデルつくりは小学校で卒業、中学時代は部活で楽しんだり、当時流行のラジオ製作で電気店通いだった。ビー玉遊びはプロ化し、投げゴマは弟達小学生の憧れの的だった。
弟君がいたので、そんな遊びをするか、と聞いたら、弟君もまた勉強どっぷり。泥で汚くなるからビー玉遊びはさせられない、、投げゴマや爆発が楽しい花火玩具は危険で駄目、・・・当時の彼の世代としては、これらの遊びはまだやっていたが、何一つ楽しいものがないじゃないか、と思ったものだった。
こんなこと書いていたら、先日の秋葉原無差別殺人事件のことを思い出した。
犯人の親も教育熱心だった。
先日、息子の父親授業参観で講演があったが、子供に沢山遊ばせましょう、という話で、もっともなことだと思った。
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